【量子力学】量子力学に意識は必要ない【論文解説】

【量子力学】量子力学に意識は必要ない【論文解説】


■概要

Shan Yu,とDanko Nikolićによる2011年の論文"Quantum mechanics needs no consciousness"の内容を簡潔に紹介する。

■導入

量子力学の主流の見方では、量子系は二つの全く異なる形式を取りうる。一つは、波動関数によって記述される連続的で決定論的な形式であり、もう一方は、波動関数の収縮によって、突如重ね合わせ状態からランダムに選び出された固有状態に飛躍することによる、離散的で非決定論的な形式である。

このような波動関数の収縮が起こる、あるいは起こるように見えるのはなぜどのようにしてなのか、という問いは通常、観測問題と呼ばれる。

多くの物理学者は支持していないが、(何らかの意味での)意識が、波動関数の収縮に関与しているという見方は根強い。この論文は、この見方を、すでに存在している実証的証拠を基に、誤りであると示すことを試みている。

■実験設計

まず彼らは、検証すべき仮説を、以下のように定式化する:
系の波動関数(重ね合わせ状態)が、単一の固有状態に収縮するためには、観測者の心(mind)の中で、量子測定の結果の明示的な現象的表象(phenomenal representation)を形成する事象が必要である(p.932)。
これを、論理記号$\Rightarrow$を用いて表すと
\begin{align} \text{CWF} \ \Rightarrow \ \text{PR}, \end{align}となる。ここで、CWFは、「波動関数の収縮(collapse of wave function)」、PRは「現象的表象(phenomenal representation)」の略である。

同様に、否定記号$\lnot$を用い、対偶として
\begin{align} \lnot\text{PR} \ \Rightarrow \ \lnot\text{CWF}, \end{align}とも置ける。つまり、意識的観測者による観測がなければ、波動関数の収縮は起こらない。

さて、「意識」という言葉の意味は、文脈によって様々であるが、ここでは、以下のように定義されている:
現在の議論では、観測者個人の心の中での主観的な現象的表象に関心を向けている。だが、そうすると、このような主観的経験を測定する必要も生じる。これを行うため、一般的に用いられている、適当な口頭報告に基づく気づきの操作主義を適用する。例えば、観測者は「光線がスクリーンの左側に当たった」とか、「オシロスコープは1 MHzの信号を示した」あるいは「ゲージは5 mVを指した」などの報告を行うことができる。口頭報告は意識的経験の全ての側面をカバーするわけではない。しかしながら、この操作主義は現在の分析にとっては十分である…(p.933)
よって、意識的状態と、波動関数の状態をそれぞれ独立に測定する実験設計が必要になる。

実験設計として、以下のようなセットアップがなされる。まず、光子が二重スリットに向けて発射される。この光子は、エンタングルした光子のペアを生成するための非線形光学結晶上の領域AかBのどちらかに当たりうる。そこで生成されたペアのうちの一方は、シグナルとしてレンズLSを通り、レンズの焦平面にある検出器D$_0$で検出される(図1参照)。

アイドラーであるもう一方の光子は、別の方向を通り、プリズムによって、始めに生成された位置AあるいはBに応じてD$_1$かD$_2$のどちらかに向けられる。よって、アイドラー光子がどちらの検出器に当たったかを知ることで、二重スリットに向かう光子がどちらの経路を通ったか知ることができる。

レーザーが一度に一つの光子を放つとすれば、光子の状態$\Psi$は
\begin{align} \Psi=(1/\sqrt{2})(|\text{L} \rangle + |\text{R}\rangle), \end{align}で記述できる。ここで$|\text{L} \rangle$および$|\text{R} \rangle$は、それぞれ左側のスリットを通ったか、右側のスリットを通ったかに対応する光子の状態である。

光子のペアが常にA、Bそれぞれの経路を取る状態の重ね合わせ状態$|1,1'\rangle + |2,2'\rangle$にあれば、十分な回数光子が放出された結果、D$_0$には干渉縞が現れるが、波動関数の収縮の結果、光子のペアの状態が$|1,1'\rangle$か$|2,2'\rangle$のどちらかに決定されるなら、干渉縞は現れないはずである。

すると、具体的には以下のような状況で、干渉縞が生じないことが予測される。

  1. そもそも検出器D$_1$やD$_2$を設置せず、どちらの経路を通ったのかの情報を検出する術を設けない。
  2. 検出器は置くが、マクロな装置によって結果を記録せず、いかなる方法によっても、意識的観測者によってアクセス可能でないようにする。
  3. 検出器などによって経路の情報を検出し、その結果を意識的観測者に提示するが、観測者の知覚によって検出されたその情報が主観的意識によって検知されることを何らかの形で阻害する。

三つ目の場合を実現するためには、複数の視覚刺激を短い時間間隔で与えたり、視野を乱すなど、様々な手法が考えられる。あるいはより直接的に、視覚野に磁気パルスを適用することで、視覚的刺激を意識的に知覚することを阻害できる(これらの手法の詳細については、原論文の参考文献を参照)。

図1:原論文中のFig.1

■既存の証拠

上で挙げた三つの場合のうち、一つ目と二つ目に関して、反証となる証拠はすでに存在すると著者らはいう。一つ目のケースに該当する例として、Zou et al. (1991)の研究を挙げている。この研究では、実際に検出器を置くかどうかにかかわらず、「原理的に」経路の情報を検出可能にした場合、干渉縞が形成されない、という結果が得られている。

二つ目のケースに関する反証として挙げられているのは、Eichmann et al. (1993)とDürr et al. (1998)の研究で、これらの研究では、経路情報は単一の原子に記録されており、マクロな形には記録されてはいないが、それでも干渉縞は生じないことが示されている。

三つ目のケースに関する実験は少なくとも論文提出の時点で著者らの知る限り存在していないが、仮に行った場合の結果は、一つ目、二つ目に反証が存在している時点で明らかだろう。

よって、波動関数の収縮に意識的観測者が必要であるという仮説は、誤りであると結論づけられる。

■反論

ここで取り上げた議論によって、主題となっている仮説が反証できれば、物理的実在を巡るうさん臭い議論の多くを取り除くことができるのだが、YuとNikolićの議論には反論も存在している ( e.g. de Barros and Oas (2017) or Reason (2017) ) 。それらの内容ついては、別の記事で取り上げることとする。

参考文献

  • de Barros, J. A., & Oas, G. (2017). Can We Falsify the Consciousness-Causes-Collapse Hypothesis in Quantum Mechanics?. Foundations of Physics, 47(10), 1294-1308.
  • Dürr, S., Nonn, T., & Rempe, G. (1998). Origin of quantum-mechanical complementarity probed by a ‘which-way’experiment in an atom interferometer. Nature, 395(6697), 33.
  • Eichmann, U., Bergquist, J. C., Bollinger, J. J., Gilligan, J. M., Itano, W. M., Wineland, D. J., & Raizen, M. G. (1993). Young’s interference experiment with light scattered from two atoms. Physical review letters, 70(16), 2359.
  • Reason, C. M. (2017). Comment on the paper Quantum mechanics needs no consciousness by Yu and Nikolic (2011). arXiv preprint arXiv:1707.01346.
  • Yu, S. and Nikolić, D. (2011). Quantum mechanics needs no consciousness. Annalen der Physik, 523(11), 931-938.
  • Zou, X. Y., Wang, L. J., & Mandel, L. (1991). Induced coherence and indistinguishability in optical interference. Physical review letters, 67(3), 318.

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